この世界に対する姿勢


元々この世界、宇宙、世の中は、その存在自体が不確定で不安定なものだ。


人はその中で安定したもの、確かなものを求めようとする。


(例えば宗教、神、数字の0、直線、など。愛もその内の一つかも知れない)


それは僕も同じで、その最たるものが真の物、真実、本当の事を欲する気持ち。


だがしかし、真実とは一体なんなのだろう。


言葉に表すと、なんだか薄っぺらいものになってしまうが、真実とは何なのだろうか。



僕は物心がついた時から自然と、真実という得体の知れない巨大なものを求めるようになっていた。


真実という概念を考えるときに、僕は真っ先に全ての始まり、宇宙の始まり、


つまり、0から1になった時のことを想像する。


人間は、0→1について、どういう答えを持っているのだろう。



ここに、ビッグバンという考え方がある。


辞書を引くと、約150億年前に起こった大爆発により、


超高温、超高密度の状態から急膨張し始め、急激な温度降下の過程で素粒子を生成し、


今日の宇宙ができた、とある。



でもこれだと0→1の説明になっていない。


超高温、超高密度の状態というのは、既に何かが存在していることで、0を意味しない。


0.1→1のことを語っているに過ぎないのではないか。


幾ら調べても、皆0.1→1のことしか語っていない。


僕が知りたいのは、0→0.1の時のことで、また、0とは何かということなのだ。


その間に何が起こったのかということなのだ。



万物はそのルーツを辿って行くと、全て同じひとつのものに辿りつくはずだ。


0とは何も無いことを意味する。


また、世界の最小単位についても、同じ事が言えると思う。


今一番小さいと言われているのがクォークと呼ばれる粒子で、


そのサイズは0.0000・・・・1だそうだ。


でもついこの間までは原子が最小単位とされていて、その前は○○というように、


科学の進歩とともに人類が知りうる最小単位もさらに小さなものになってきている。


またこれから先も同じように次々とその単位が更新されていくことだろう。



物質の移動速度だって同じ事が言える。


しかし、僕らの現実世界においては、限りなく0に近づく事ができるが、


その言葉の通り、この冒険には限りが無い。


つまりこの世界には0というものは存在し得ないということになる。


0は人間の想像の産物だということが言えるのではないか。



人間はいくら頑張っても真の直線を引くことは出来ない。


人間はいくら頑張っても不老不死を手にする事は出来ない。


同じく、人間はいくら頑張っても100%のものを作る事は出来ない。


近づく事は出来ても、絶対に辿り着くことが出来ないもの。



真実というものも、これと同じ性質を持っているのではないかと僕は考える。



でもだからこそ、僕の魂は真実を求めるのだと思う。


初めからそんなものは無いと分かっていても、限りなく近づく事が出来るのなら、


限りなく近づきたいと心から願う。


僕の魂が欲している。


近づく方法、道のりも分からない、真っ黒の4次元地図。


でも魂は知っている。


宇宙の始まりの記憶を頼りに、魂の叫びに従って、己を信じて、一歩一歩、一呼吸一呼吸、


近づいて行けたらと心から願っている。



© 2019 Tomohisa Ishizuka, all rights reserved.

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