歌人・河野裕子と戻らない日常

最終更新: 2018年2月27日

河野裕子さんという歌人と出会いました。 正確には河野裕子さんという歌人が遺した歌に出会いました。

何で今まで知らなかったのだろう、と思うくらい、彼女の歌は力強く、ありのままでした。

僕は今年に入ってから、日本の文化というものに改めて興味が湧いていた所に、短歌について教えてもらえる機会を得て、その会に何度か顔を出していました。 その中で、先日は河野裕子さんという歌人についての紹介していただき、その日以来、短歌に対する見方が一変しました。

短歌(五・七・五・七・七)というと、万葉の昔からその時代時代の日本人の心が詠まれてきたものだ、というのは知っていましたが、学校では俳句の方が勉強した記憶が残っているし、僕にとっては馴染みの薄いものでした。 また、旧字体や難しい漢字で書かれた言葉はとっつき難く、歌自体は名前が表す通り短いのでさらっと読み去ってしまうので、心に響き難かったのだと思います。

しかし、河野裕子さんの歌は僕の心に一直線に飛んできました。

熊本県で生を受けた河野さんは、大学時代にこれまた歌人の永田和宏さんに出会い、6年の交際の後、結婚して2人の子供をもうけます。 河野さん自身は高校時代から歌を詠むようになったそうです。 多感な少女時代を経て、 結婚して妻となり、子供を生んで母親となり、つい当たり前と感じてしまう、2度と繰り返さない日々の生活の中でその歌は詠まれて来ました。

河野さんは生涯で14冊の歌集を発表しました。

僕は歌の専門家ではないので、この数が多いのか少ないのか分かりませんが、河野さんは多作を勧めていたようですし、彼女も実際に多作の歌人だったのでしょう。

僕は河野裕子さんを特集した一冊の本を読んだだけなので、大そうな事を言うつもりはありませんが、いずれにしても、息を吸うように日常を感じ、息を吐くように歌を詠んでいたのでしょう、その時代毎の代表作からそれが伝わって来ます。 では、偏りがあるのを承知で、代表作の中から僕が気に入っている歌を紹介したいと思います。

逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと

夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと

河野裕子 第一歌集 『森のやうに獣のやうに』 (青磁社 1972年)


子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る

河野裕子 第三歌集 『桜森』 (蒼土舎 1980年)


しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ

河野裕子 第五歌集 『紅』 (ながらみ書房 1991年)


じやがいもを買ひにゆかねばと買ひに出る この必然が男には分からぬ

河野裕子 第八歌集 『家』 (短歌研究社 2000年)


明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり

わたしよりわたしの乳房をかなしみてかなしみゐる人が二階を歩く

ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために

河野裕子 第十歌集 『日付のある歌』 (本阿弥書店 2002年)


亡き父を呼び出したがる家族たち揉めごとあれば悲しみあれば

河野裕子 第十二歌集 『庭』 (砂子屋書房 2004年)


死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく

河野裕子 第十三歌集 『母系』 (青磁社 2008年)


あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき

さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

河野裕子 絶筆 (2010年)


妻の言葉、母の言葉、娘の言葉、そして死と誠実に向き合った一人の人間の裸の言葉。

河野裕子さんは昨年乳癌で他界されました。64歳の若さでした。

僕は既に死別している父方の祖母が生前つけていた日記、その日記を思い出しました。 最後の数年間は一人暮らしでしたが、農作業をしたり、手芸をしたり、動いていないと落ち着かないおばあちゃんでした。 その生活を知っているから、単調な日記ですが、丁寧に日常を書き記そうとする気持ちが伝わってきます。

祖母は小さい頃、家が貧しかった事もあり、学校に行けませんでした。 だから、今になって日記をつけながら文字の勉強をしているのだと言っていたのを思い出します。 祖母の死後、僕はその日記を形見として一冊もらい、ベルリンに持ってきています。

そしてまた、秋田にいる母の事を想いました。 河野裕子さんは僕の母よりも少し年上なだけで、似ている所もあるなあと思ったり、病気のことだって、他人事じゃなくなる日が来るかも知れないという事を考えると、自然と2人を重ねて見ている自分がいました。

母は僕にとって愛情を限りなく送ってくれる存在です。 離れれば離れるほどに、その愛情が強く伝わってきます。

河野裕子さんの絶筆を読んでいて、母の事を強く想いました。

去年の8月、僕がベルリンに来る時の事です。

1ヶ月ほど秋田に里帰りした後、秋田を離れる夜行バスに乗る際に、見送りに来ていた父と母。 それまで誰も泣かないようにしていましたが、別れ際、僕の手に母が細かく折りたたんだ壱万円札を押し込めるように渡しました。 「何も出来ないから、これをお守りだと思って」 その紙の小ささに、愛情がいっぱいいっぱい切ない程に詰まっていました。

日常というのは気を抜いているとあっという間に過ぎてしまい、当たり前にそこにあったものの大切さ、大事さは、大抵後になって失ってから気づくことの方が多いと思います。

河野裕子さんという人は、その日常を日常と思わず、その瞬間を大切に大切に噛み締めて、とうとうその人生を歩み切った方なのだろうと思います。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

河野裕子 絶筆 (2010年)


亡くなる間際は在宅看護を受け、この歌も夫の永田和宏さんが代わりに書き写したものだそうです。 日に日に弱っていく体を感じながら、終わりの刻を悟り、それでも精一杯もがいてみせる。 初めてこの歌を読んだ時から今でも、読む度に胸が押さえつけられます。

短歌という短い言葉に込められた、広大で奥深い世界。 河野裕子さんという歌人を通して、その一端を少しでも感じることが出来たかと思うと本当に嬉しいです。 そして、言葉というものに対して、改めて考えさせられるきっかけを貰ったように思います。

今回はいつもと違って、一人の他者に焦点を当てて言葉を綴ってみましたが、 やはり言葉を扱うのは簡単では無いと実感しています。 また、これはあくまでも僕個人の感想なので、興味を持った方は是非直接お手に取ってご覧いただけたらと思います。

合掌

― 参考文献 『シリーズ牧水賞の歌人たちvol.7 河野裕子』 (青磁社 2010年)



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